縁起

東光寺縁起

関係書物も少なく東光寺の寺歴詳細は定かでないが、今からおよそ1000年余り前、敦実親王の第2子で宇多天皇の孫にあたり仁和寺別当・西寺別当・東寺別当などを歴任し高野山の座主にもなられた寛朝大僧正(声明の第一人者としても知られている)により、現在地より多摩川に近い地域(現大柳町)に、庶民信仰のお堂として開基されたと伝わっている。
青梅の名の由来と言われる青梅山金剛寺を中央大日に擬し、四囲に梅岩寺、来迎寺(廃寺・裏宿町)、西蔵院(廃寺・天ヶ瀬町)、とともに建立された東光寺は、梅花五弁のひとひらであり「五智の如来」にならった古刹である。
無住の期間が長く続いたが、盛譽和尚が入山され、現在で中興第三世(三代)である。大正年間に本堂の改修と増築を行い、昭和50年には屋根の葺き替えと本堂と庫裏の大改修が行われた。数百年間、改修と増築により参拝者や檀信徒に親しまれてきた伽藍は、令和元年7月、東京都道青梅計画線の為、移転移築され、新生東光寺としてその景観が大きく変わった(「移転事業履歴」のページ参照)。場所も「滝ノ上町」から「天ヶ瀬町」へ移転された。これにより、大柳町から滝ノ上町へ、滝ノ上町から天ヶ瀬町へ、永い寺歴の中で実に2度の転居を余儀なくされたことになる。
ご本尊地蔵大菩薩様は丈2尺5寸、檜材寄木造りによる立身の木像であり、350年ほど前の江戸時代初期の作とされる。ご本尊とともに奉安される不動明王(江戸時代中期)も仏師の名を定かにしない。また、外陣にはインドブッダガヤ大菩提寺の仏足石の拓本が祀られ、内陣壁面には6躰の雲中供養菩薩が祀られている(境内奉安仏参照)。
新生境内も四季に咲き継いでいく花々を植樹していこうと考えている。境内が訪れる参拝者を癒やしてくれるように・・・・・。
春・秋の彼岸会、花まつり、施餓鬼会(7月11日)、お盆(7月)には、大勢の檀信徒や参拝者で賑わう。


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平成30年撮影の旧「境内桜」の動画を公開しました!
寺院移転の為、すでに見ることのできない、樹齢200年の境内桜です。
日中光景、夜桜、花吹雪の構成になっています。